上野健一はインスタもできる僧侶になっていた!?マネーの虎出演後に迫る!

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マネーの虎に出演していた上野健一氏は、不動産業のノシアス理想都株式会社グループ・株式会社ZKR(全管連グループ)の創業者です。


しかし、現在は不動産業を離れ表舞台から姿を消しています。
不動産業界では知らない人はいない存在だった上野健一氏は、現在どのような活動をしているのでしょうか?
マネーの虎で出演していた当時は、志願者に対する彼のアドバイスが注目されていました。


今回は、上野健一氏の経歴やテレビに出演していた頃の動向、現在の活動などを取り上げていきます。
上野健一氏が現在どんな活動をしているのか気になっている方は、ぜひ参考にしてみてください。

波乱万丈?上野健一氏のマネーの虎までの人生は?

上野健一氏はマネーの虎に出演するまで、波乱万丈な人生を送ってきたと言われています。
どのような人生を送ってきたのか、上野健一氏の経歴などをご紹介していきましょう。

上野健一氏は、1961年2月21日に沖縄県浦添市に生まれ、兵庫県神戸市で育ちました。
24歳の頃大阪府で独立し、ログハウス村づくりにおける土地再生システム「CCZプロジェクト」を発表し、休眠分譲地の都市開発や再整備事業を立ち上げています。
ログハウスの輸入建設や販売はもちろんですが、それ以外にも外食産業なども展開しており、順調に売上を伸ばしていった彼は28歳という若さで売上100億円を実現しています。
ただ、全てが順風満帆に行ったわけではありませんでした。
1995年には、忘れがたい阪神淡路大震災に襲われ、各社・店舗共に大きな被害を受けてしまいます。
上野健一氏は、震災の影響で不安な毎日を過ごしている被災者のために、神戸の復興や寺院の復興、各社の復活に取り組んでいきました。


そして被災地の復興に携わる中で、土地や会社が再生できるシステムを構築し、街づくり事業にも乗り出したのです。
後の株式会社ZKR(全管連グループ)である、ノシアス理想都株式会社グループが設立されたのは2001年のことです。
ZKR設立後は、グループ会社として不動産事業・リゾート会員権販売業・都市計画コンサルティング業などを引き込み、大きなグループ会社として成長していきました。
そんな中、2001年10月にスタートした日本テレビ系の「マネーの虎」に上野健一氏をはじめとする大物の起業家が出演するようになります。
マネーの虎は、2004年まで放送されたバラエティ番組です。
番組内容は、一般人の起業家がこれからの事業計画をプレゼンし、投資家・審査員が出資するかどうかを判断するというものでした。
投資家や審査員による出資が決まれば、志願者が出資金を受け取ることができます。


しかし、開業当日の利益目標にノルマが課せられるという仕組みとなっていたため、達成できなければ出資者から厳しい指摘がされていました。
また、事業計画のプレゼンで虚偽があったり甘さがあったりした時には、非難されるケースも多々ありました。
上野健一氏も、マネーの虎で志願者に対し鋭い指摘をしています。
マネーの虎の番組を見て、上野健一氏を知ったという方も多いのではないでしょうか?
上野健一氏は、コメンテーターとして活躍したり、特番を組まれたりもしており、様々な場で活躍していました。

マネーの虎終了後はどうなった?生きている?

マネーの虎が終了してからというものの、表舞台から姿を消した上野健一氏について死亡説まで流れてしまいました。
しかし、上野健一氏は引き続き会社運営に勤しみ、現在は千光寺の住職として健在されており、名前は『上野玄津』に改名しています。


上野健一氏は、独立した当初から将来的には住職になりたいと考えていたそうです。
元々喘息を抱えていた上野健一氏は、毎日の忙しさから体調を崩してしまい、垂水神社を参拝したと言います。
その後喘息も収まり、霊感が湧き上がってくるような体験をしたことで住職を目指すようになったのです。
ある時、上野健一氏は総本山金剛峯寺座主の竹内崇峯大僧正から僧名である「玄津」を授かりました。
その後は、徐々に真言密教の布教活動を行うようになり、住職として活躍されています。

上野健一氏はなんとInstagramもできる住職になっていた!

現在、住職として活躍している上野健一氏は、Instagramも使いこなしています。
では、Instagramも使いこなす住職になった上野健一氏が、今に至るまでにどのような出来事があったのか見ていきましょう。

■21歳の時に住職になることを決意

上野健一氏が住職になろうと決意したのは、21歳の時でした。
この時、起業をしたばかりだったこともあり、非常に忙しい毎日を送っていたと言います。
無理に働いていたことで、子どもの頃から悩まされていた喘息もひどくなってしまい、病院の治療もほとんど効果がないという状態にまで陥ってしまったのです。
その辛さから解放されたいという思いを持ったまま大阪府吹田市の垂水神社に参拝し、不動明王に祈りを捧げながら御真言を唱え続けました。
そんなある日、霊感が沸き上がってきて、今までの悩みや苦しみ、つらい喘息の咳まで楽になったのです。
その出来事をきっかけに、住職になって多くの人を救うためのサポートをしたいと考えるようになったそうです。

■仕事の合間を縫って真言密教について学び続けた

上野健一氏は、自分自身が不動明王に祈りを捧げながら御真言を唱えたことで救われたため、真言密教をより深く学びたいと思うようになりました。
在家の修行者となり、修行を続けたのです。
修行に励む中で、総本金剛峯座主である竹内崇峯大僧正から、「実業家として頑張りながら、自分なりの方法で真言密教を学び続けなさい。そして、若い人たちへその教えを広めていきなさい」と諭されたことがありました。
それを信じて学び、広め続けた上野健一氏は、28歳の時に玄津という僧名を授かったのです。


28歳の上野健一氏といえば、100億円起業を作った敏腕社長として名前が広まったことで知名度が高まっていました。
実はあまり知られてはいませんでしたが、経営者と住職の2つの顔を持つ人物だったのです。

■住職としての活躍にはどのようなものがあるのか?

元々は経営者として名前を知られていた上野健一氏ですが、現在は住職として活躍しています。
では、住職になってからはどんな活躍をしているのか、ご紹介していきましょう。

【洗心不動尊白浜千光寺を創設した】

上野健一氏は、平成29年10月に南紀白浜にあるお寺を継承しています。
そして、洗心不動尊白浜千光寺を創設しました。
洗心不動尊白浜千光寺は、霊峰としても知られている雪彦山にある千光寺総本山の別院として創設されました。
国際的な知名度も高い場所で、日本人だけではなく外国人がやってくることもある場所となっています。
洗心不動尊白浜千光寺では、上野健一氏ならではの発想で真言密教の布教を行っています。
それが世界的にも認められ、ダライ・ラマ14世から感謝状をもらったり、アメリカ「国際学士院大学」博士号を拝受したりしているのです。


かつて経営者だったという他の住職にはないような経験を活かせたことで、ここまで大きく成長できた可能性も考えられるでしょう。

【Instagramで情報を発信している】

上野健一氏は、他の住職とは異なる視点を持っている側面もあるため、Instagramを積極的に活用し、情報を発信しています。

https://www.instagram.com/kukaigenshin/
Instagramでは、空海を1200年前のスーパースターと称し、加持祈祷は願望を達成するためのハッピーメソッドとして紹介しています。
Instagramを活用し、このような紹介の仕方をしていることから、若者にも真言密教の素晴らしさを知ってもらいたいという思いが込められています。


つまり、上野健一氏は幅広い層に真言密教の素晴らしさを知ってもらうための手段としてInstagramも使いこなしているのです。
そうすることで、若者もより身近に感じられるため、興味を持つ人も増えていくと上野健一氏は考えたのでしょう。
これからも、上野健一氏ならではの新しい視点で真言密教を多くに人に伝え続けていくのではないでしょうか?

上野健一氏がいるのはどんな場所?詳しく調べてみた!

上野健一氏がなぜ住職になったのか、多くの人に真言密教を伝えるためにどのような取り組みをしてきたのかといったことについて見てきました。
続いては、上野健一氏がいる洗心不動尊白浜千光寺がどのような場所なのか、ご紹介していきましょう。

■洗心不動尊白浜千光寺とは?

洗心不動尊白浜千光寺は、平成29年10月に上野健一氏が継承したお寺で、継承後に霊峰としても知られている雪彦山にある千光寺総本山の別院として、洗心不動尊白浜千光寺を新しく創設されました。
上野健一氏の考え方によって、若者でも足を運びやすいような工夫がなされています。
例えば、フラットな石畳を多くすることによって、女性でも歩きやすいようになっています。


また、大型バスでもお寺の前に横付けできるようになっていることから、非常に足を運びやすいお寺でもあるのです。
真言宗をより身近に感じてもらうためには、敷居を低くすることが重要だと上野健一氏は考えたのでしょう。
それだけではなく、フォトジェニックなお寺として洗心不動尊白浜千光寺のホームページで紹介してる点も、他とは違うことが伺えます。

■加持祈祷では丸うさぎと護摩木に願いを込める

真言宗千光寺派の加持祈祷では、丸うさぎと護摩木に願いを込めます。


願い事や住んでいる場所、名前、誕生日を記入し、加持祈祷所へ奉納すると護摩行を行ってもらえます。
護摩行は、空海の真言密教の中で願望達成を願うために行われるもので、仏様に直接願いを伝えられる方法だと言われています。
多くの人が願いを叶えたいと思っているため、洗心不動尊白浜千光寺においても多くの人が護摩行を行っているのです。

■強い霊力を持つ金剛霊力岩が境内にある

金剛霊力岩は、古くから多くの修験者が不動明王の真言を唱えたことによって、強い霊力を持ち、願いを叶えてくれるようになったといういわれがある岩です。


願いを込めて岩を削り、その粉末を紙などに包んでお守りとしてもっていると、金運や勝負運、結婚運などを高め、幸運を呼び寄せてくれるそうです。
そんな金剛霊力岩が洗心不動尊白浜千光寺にあるのも、仏縁によるものだと言われています。

現在、上野健一氏が住職を務めている洗心不動尊白浜千光寺は、非常に魅力的なお寺です。
若者も足を運びやすいような工夫をしているため、老若男女問わず楽しむことができるような場所になっています。
様々なご利益も期待できる洗心不動尊白浜千光寺に興味があるという人はぜひ足を運んでみると良いでしょう。

上野健一氏と今について統括

かつて経営者としてマネーの虎に出演し、コメンテーターとして活躍していた上野健一氏は現在、洗心不動尊白浜千光寺の住職を務めています。


マネーの虎が終了してからは、上野健一氏がどのように過ごしているのか知らなかったという人も少なくないでしょう。
まさか住職になっているとは思わなかった人も多いのではないでしょうか?
洗心不動尊白浜千光寺では、上野健一氏ならではの発想で真言密教の布教を行い、世界的にも認められる住職の1人になりました。
また、空海を1200年前のスーパースターと称し、加持祈祷は願望を達成するためのハッピーメソッドとして紹介しながら、Instagramの投稿も行っています。
Instagramに投稿することで、若者からも興味を持ってもらいたいと考えているのではないでしょうか?
これは、上野健一氏ならではの発想の1つだと言えるでしょう。
そしてこれからも、上野健一氏ならではの視点や発想を取り入れていく可能性が高いため、真言宗をより身近なものだと感じられるようになっていくと予想できます。
そのため、洗心不動尊白浜千光寺や真言宗に興味を持つ人も増えていくことでしょう。

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